856 死の印象

 ポール牧の死は、やはり驚きだった。
 同じ課のパンダさん(仮名)は、こんなコメントを寄せてくれた。著名人の死は、「ショック」「驚き」「ピンと来ない」という3つのパターンがあるんじゃないか…と。

 ショック(例:逸見政孝)>驚き(例:ポール牧)>ピンとこない(例:渥美清

…なのだそうだ。パンダさん(仮名)と友達(推定いずれも二十歳代)との会話でのこと。

 確かに彼女たちの年代では、渥美清はすでに別世界の人だっただろうから、国民的にはかなりのニュースだったとしても、ピンと来ないのは無理はない。逸見政孝は、ニュースやバラエティ番組で活躍していたさなかの突然の死に、死というもの存在が実はものすごく身近なものであったということを否応なしに見せつけられたという点で、驚きよりも、ショックという表現になったのかもしれない。

 死は、その人が身近であればあるほど、その人が死をイメージさせないようなキャラクターであればあるほど、ショックの度合いは大きくなる。当然と言えば当然だけれど。

 だいぶ前の定点観察にも書いたが、身近な人は、いつまでも変わらずに、身近に居続けるような気がしてしまう。人間なんだから、確実に年を取るし、確実に変わっていくのに。変化を感じにくいから、突然いなくなると、そのショックは小さくない。

 ポール牧だって、永遠に指パッチンをしているわけはないのだ。彼は、別に身近な人じゃなかったけど、突然この世からいなくなったという事実は、ショックまではいかないまでも、不思議な気持ちにさせる。

 
◆4/22 8757歩 / すみません。言い訳します。今日はなんだか疲れて、文章がまとまらないままアップしてしまいました。